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Column コラム

何故、いま補聴器の取り扱いをスタートしたのか。第二章

 耳掛け式補聴器を装着しながらの社会生活は新たな気づきの連続でした。まずは周囲の人たちがメガネ同様に補聴器をすれば健常者と同じように聴こえるという認識を持っていることです。この事は分からなくもない事象で、まずはメガネを扱っている店舗で補聴器も取り扱っていることが多いため、同様の効果効能であるという認知バイアスが働くためではないかと思います。本来であれば使用者自身がそれを一番に望むことですが、どうにも補聴器は読んで字の如く、「聴こえを補う器械」な訳です。

 また補聴器は慣れるまで多少なりとも体験と経験の蓄積が必要になります。メガネも使いはじめのときは、慣れるまで「グラっ」と視界の変化についていけず軽い目眩を覚えることがあるかと思いますが、これが耳にも現れます。あくまでも器械を通しての音の獲得のため、自然な音では無いのが本質であり、違和感を覚えることが多々あります。次第に耳が補聴器に慣れてくるようになり、それまでが試練な日々となり補聴器自体の性能と性格を感じ取れるようになってきます。

20代後半の聴力
40代前半の聴力

 こうした状況の中でいろいろ試行錯誤をしながら、周囲と自身の環境の再構築を行うことが必要となってきます。これまでの経験の中で学んだことのひとつとして、難聴者に対しては大きな声で話せば聴こえるはずと認識している人も多く、正解なようで不正解であり相互理解の難しい局面があります。音を色として例えると、赤色の認識ができない視覚障害の人にいくら赤を強調しても見えないはずで、それを音に変換すると高音域が聞こえない人にいくら高音を強調しても聴こえは不明瞭だったりします。補聴器を装着した場合も明瞭度は向上しますが確実とは言い難いものがあり、これが更に相互理解に対し誤解を生むことにも繋がることがあります。

 そんな補聴器を長年使用してきた中で辛かったことがいくつかあった訳です。
それは以下の内容になります。

  • 医療機器だがメーカー保証が1年から最大で2年であり、その後は有償となる。
  • 紛失したときのダメージが大きい。変わらず全額自己負担で買い直し。
  • 紛失した際の補聴器がない状況下での対応に苦慮

 補聴器、どうしようもなく精密機械の部類に入ります。毎日使用していると、とくに仕事で使用している際は精密機械として大切に扱うことができない瞬間が多々発生し、普通に自由落下で派手に落とします汗。これは皆さんも普段使用しているイヤホンで同様の経験あるのではないでしょうか?JRの落とし物部類は近年ではBluetoothイヤホンが上位にランクインしているので頷けるかと。落とす=故障の原因になります、それでもそれなりにしっかりと故障せずに長年使用できていましたが、さすがに本体が割れたときはアウトでした。外装がプラスチック系ということもあり経年劣化で乾燥し割れやすくなってきます。こういうときの修理費って受け入れがたく辛い限りです。

 他もっともダメージが大きかったのが紛失時です。耳掛け式は長時間使用するとストレスが大きく痛くなってきていました。そのため時折耳休めのため外していたのですが、当時の補聴器を入れるケースがこれまた大きく携帯性に優れているものではなく、つい胸ポケットに入れていたのです。いざ使おと思いポケットを見ると片方ないではないですか・・・。人生でこれほど絶望を味わったことのないレベルで青ざめ、半日以上かけて探しても見つからず、結果的に新しい補聴器を購入するという、どうしようもない現実が待っていたのです。ちなみにこれまで3回ほど紛失しすべて買い直し、さすがに補聴器店の人も呆れていました。

 そして紛失時は当然にして補聴器がないので、まったく聞こえない状況が継続します。どうやって業務を継続したら良いのか悩みに悩み、もはや聞こえたフリをするしか手段はなく、相手の表情と口の動きでひたすらに「脳内検索」をして、たぶんこんなことを話しているんだとアタリをつけていました。とはいえ限界は当然にしてあるわけで、必要最小限の動きで凌ぐしかなかったのです。そんなときの補聴器店の一言は「2台持ちをすれば良いのでは?」、25万円の補聴器を2台持ち、まったく現実的に受け入れることのできない内容で、どう返答すれば良いのか分からない状況でもありました。いちおう簡単な代替器を貸してはくれましたが、どうにも腑に落ちない気持ちが続いたのは確かです。

第三章に続く